働くのはお金のためだけ?やりがいにより焦点があたる時代に

多くの人が、働く理由は「お金」のためだと思います。
生きていかなければならないですからね。当たり前のことだと思います。

しかし、働いてみるとだんだんとマンネリ化してきて、
どこか仕事に対して不満を持つようになったり、
転職を考えたりする人も多いのではないでしょうか?

働くことにはお金以外の部分で私たちは色々なものを実はもらっています。

それが、仕事のやりがいの部分です。

誰かからありがとうを言われると人は素直に
「うれしい」という感覚になるはずです。

仕事をする一つの意味として、
人から喜ばれるということがあると思います。

一生懸命やった自分の仕事が人から感謝されたら嬉しいですよね^^

そういったやりがいの部分に仕事自体の価値が
移行しているように私自身感じます。

どんなにお金の儲かる仕事をしていても、
仕事の内容自体に不満があればやはりそれは幸せではないでしょう。

人生のやりがいを求める若者が増えてきているのも実感します。

より自分がやりがいのある仕事を
皆が模索するような時代に突入しているのです。

ここまで生き方が多様化する時代ですと、
おもしろい生き方をしている人の影響を受けやすい時代ともいえます。

そうして、やりがいをもとめて転職する人たちも増加しているようです。

しかし、なかなかこの「やりがい」という部分は捉え方が難しい概念でもあります。

仕事をやっていれば辛いこともありますし、
やりたくない業務もあるでしょう。

しかし、そんな中で自分自身の成長が見られたり、
同じ目標を持つ仲間と出会ったり、
新しいスキルを身につけたり、

そういった部分に働くことの魅力はあります。

もともと、働くことの語源は、

「はた(周り)を楽にする」という所から来ているらしいのですが、

英語のビジネスの語源は「ビジー(忙しい)」だそうです。

ここら辺にも日本人としての「働く」ことの価値観が現れています。

もともと、日本人の仕事に関する価値観というのは、
「人のために」という部分は強いです。

それは、古事記などの神話の世界をみても、
八百万の神様はみんな、誰かのために働いています。

この意識はとても大切なことだと思うのです。

海外などで仕事をしてみると、
働くことの意識の違いに割と驚かされます。

よく聞くのは、
「今この仕事をしているのはバカンスを楽しむためさ」

「仕事は適当に済ませて、趣味を楽しむよ」

など、仕事は苦痛なもの。
だから、できる限り、そちらは割り切って済ませて、

残りの自由な時間を楽しむという価値観の人が多いです。

「ドロップアウト」という言葉があるように、
ある程度お金を稼いだら、
働かずに、自由に遊んだりして暮らすという考え方の人も
日本よりも海外の方が多いように感じます。

どちらかというと、
人のためというよりは
自分のためにという感覚が日本に比べると強いように感じます。

もちろん、どの国も考え方は人によってさまざまですが^^;

ただ、日本人にとって、
労働というのはある意味で神事であり、
とても大切な意味をもっていることは確かだと思います。

日本人は働きすぎと言われますが、
行き過ぎは確かに良くないですが、
責任感の強さや、協調性などは日本人の良い部分でもあります。

先日、アフリカ周辺のどこの国か忘れたのですが、
知人の一人が、移住していて、
日本の農業技術をそこで教えているそうなんですが、

その知人が一時、日本に帰国したらしく、
色々と話を聞く機会がありました。

そこで、知人が話すには、

「全然働かない」

とのことでした^^;

そこの国の人は依存が強いのだと。

食べ物がなくなったら、自分でなんとかしようとか、
自分で作物を育てたり工夫するのではなく、

なくなったら誰かからもらう、

仕事も出来る限り、楽にやり過ごす。

というのが、染み付いてしまっていて、

いくら教えても、なかなか浸透しないのだと
愚痴を漏らしていました。

国の文化や価値観というものも
やはり影響するものなのだなーと勉強になりました^^;

まあ、そんな人たちばかりではないでしょうけどね^^;

あと、海外事情でいうと、
私自身もインドを訪れた時、

すぐ気になったのが、

小さい子どもが労働していることでした。

ある安宿に泊まった時、
ロビーというか受付をしていたのは、

小学生くらいの子どもでした。
あとは、ゴミを集めて売っている子どもや、

案内係をしている子ども、
野菜を歩き売りしている子ども、
とにかく子どもが働いているんですよね・・。

これはちょっと衝撃でした。

まさに「生きるため」に働いているのです。

インドではカーストによって、

基本的に職業選択の自由がありません。
例えば、「物乞い」の家系に生まれると、
その人は「物乞い」としてしか生きられないんですね。

「物乞い」というのが「職業」なんです。

だから、それぞれの人が自分の役割として全うしているという感じです。

だから、職業選択の自由がある日本という国を
改めて見ても、日本で良かったなと思えてくるし、

そういった色んな視点から、
日本の労働というものを見た時に、

自分自身の仕事の恵まれている部分も
見えてくるのではないかなと思います。

不満に目を向けるのではなく、
お金以外のやりがいの部分、
人から感謝される部分などに目をやると、

間の仕事の新たな側面が
見えるのではないかなーと感じるのですが、
あなたはどう感じますか?

お金以外の部分でやりがいが1つでも見つかったら、
それは幸せなことかもしれませんね^^

今日も読んでいただいてありがとうございました。

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